新型コロナウィルスは社会を断絶したように見えるが、人と人のシナプスは繋がり続けている
毎日ニュースでは、新型コロナウィルスの1日の感染者数や死亡者数、これまでの総感染者数に総死亡者数などが報道されている。
今でこそだいぶ人出は戻ってきたが、一時は渋谷とか歌舞伎町の繁華街では人影が消え、足音が消え、笑い声や嬌声が消えた。我が物顔で歩いているのはたぶん、羽をテカテカ光らせたカラスぐらいなもんだろう。もはや街は何も生み出さないし、何も吐き出さない(酔っ払いもいないことだし)。
そうなると社会は断絶されて、密に繋がっていたネットワークがあちこちでスライスカットされているように見える。大小さまざまな穴が穿たれ、その穴が時間の経過とともに広がって大きくなっていく。そんなネガティブな幻想にとらわれているのは、たぶん僕だけではないかもしれない。
明らかに想像力が欠如しているように見える政治家の言動とか、それを痛烈に批判するワイドショーのコメンテーターの発言を毎日のように聞かされていると、
あぁもう日本終わっちゃうんだ
と、思わず絶望的なこの国の姿が頭をちらついてしまうのもやむを得ないだろう。
だけど、こんなニュースを目にして少し希望が湧いてきたのも事実だ。まったく単純すぎて、自分の頭の悪さを痛感するしかない。
人と人のシナプスは確実に繋がっている
ゴロゴロしながらTwitterを見ていたら、高度救命救急センターで第一種感染症指定病院である墨東病院の医療物資が不足しているため、ある起業家がマスクを段ボール箱いっぱいに詰めて届けたというのだ。もう医療崩壊寸前まで来ているから、きっと「なんとかしないと」という思いだけで行動したんだろう。
また、日本の医療を守るためのクラウドファンディング「マスク基金」が1日で1億5千万円を集め、国内史上最速だったという。
あるいはタレントやスポーツ選手がチャリティーオークションに参加して医療物資の提供に貢献しているというニュースもあった。
一度は社会のネットワークが断絶してしまったと諦めていたが、人と人のシナプスはまだ確実に繋がっているんだと思って感心した。やろうと思っても行動できないことが多いから、こういった行動を起こしただけでも最高すぎる。まったく称賛に値するじゃないですか。
強固に繋がっていたシナプスも一瞬で断ち切られることもある
だけど一方で、一瞬で断ち切られてしまうシナプスの繋がりもある。恋人同士や友人同士、または家族同士のそれだ。
僕の話をすると、以前10年ほど仲良くしていた友人がいたのだが、二人で旅行に行っているときに、些細なことがきっかけでお互いのシナプスが繋がりを断ってしまったことがあった。というより、僕が一方的にカットしてしまったのだけど。
結局別々に東京に帰り、帰った後も1~2度連絡をとっただけで一度も会うことはなかった。ちょっとした不満が僕の中でだんだん累積していき、旅行中にキャパオーバーしてしまったのだ。そのまま時間が経過してしまい、時々どうしてるんだろう?と思い出すことはあっても、連絡を取ることはもはやない。きっと向こうも同じ感じかもしれない。
繋がりが強く深いほど、一度切れてしまうともう元通りには戻せないことの方が多い。逆に言えば、繋がりが浅いほど修復するのもわりと簡単だ。今回の社会のネットワークの断絶からの再生も、広く浅いという特性を持つ社会の繋がりだからこそ生まれたのだと捉えても良いのではないだろうか。
神経伝達物質をお互いに放出しあうという強引な未来感に期待したい
そもそも脳内にあるシナプスは神経細胞にあって、神経伝達物質を放出することで他の神経細胞と繋がりあうことができるらしい。つまりお互いのシナプスが
送る→受け取る
という単純すぎる構造を正常に機能させていれば、簡単に繋がりあうことができるのだ。
それならば、「伝達物質クリーム」のようなものを体に塗り付け、その伝達物質を受容する「人工シナプス」を体に埋め込むことができれば、簡単に人と人が繋がりあちこちで友好関係が結ばれるのではないか。
もし「この人はちょっと…」という人から送られてくる伝達物質はシナプスを閉じてガードできれば、自分で取捨選択できるから安全だ。
「この人はまだどんな人かちょっと分からんなぁ」という場合は、伝達効率を悪くしてちょっとずつ伝達物質を受容できるようにシナプスを調節できるようにする。
こんな風に友情関係、愛情関係、ビジネス上のパートナー関係なんかが人工的に作られたら、今とは違ったカタチの平和的で幸せな世界ができあがるかもしれない。
まぁこれはちょっと強引な想像(いや妄想か)かもしれないけど、こんな未来感のある世界がもしやって来たらそれはそれで面白いんじゃないだろうか。