とりねこ日記

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戦略的悲観主義者になることで成果を出す方法とは?楽観主義との上手な使い分けできっとハッピーロードを歩けるようになる

男性の後ろ姿

例えばの話だが、飲むと「楽観的になるジュース」「悲観的になるジュース」があったら、あなたはどっちを選びますか?

 

どちらも人工甘味料なしの100%果汁で作られていて、飲めばたぶん健康に寄与するだろうというおまけつきだ。たぶん多くの人が、というかほとんどの人が「楽観的になるジュース」を選ぶだろう。

 

僕もそうです。基本的には。

 

 

・・・・・

 

 

基本的には?

 

何を意味深なことを言ってんだこのあんぽんたん、と思った方もいるはずだ。そう、基本的には僕も楽観的になれるジュースを飲みたいと思う。

 

だがつい最近、長い長い人生を歩いていくうえで、「楽観的なことはマイナスに働くこともあるかもしれない」ということに気付かされたのである。

悲観主義なんてピーナツの殻も同然だと思っていた

ピーナッツの殻

僕は22歳くらいまで楽観的でも悲観的でもなく、中庸的な立場をとっていた。といえば聞こえはいいが、要するに主義もなにもない、無味乾燥でいつもフラフラしているニュートラルな男だった。

 

だが自分の無力さを知悉するに至って、悲観主義的な考えの沼にすっかりはまってしまったのである。いま思い出してみるとかなりの抑うつ状態だった。でもある時点でこのままではいけないと思い、楽観思考に切り替え、それ以来なんとか自分を保って生きてこれたと言ってもいい。

 

楽観的になることで、劣勢で悲観的な状況におかれても完全停止せず、なんとか前を向いて歩き続けるようになれるものである。

 

そのせいか、つい最近まで完全に、

 

楽観主義    悲観主義

 

だった。もう楽観主義の完全勝利だ。悲観主義だと?何の役にも立たねぇなクソが!持っているだけ損。このピーナツの殻野郎!である。

 

 だけど、こんな記事をたまたま見つけて読んでみたら(グーグル翻訳に助けてもらって)、悲観主義に対する見方がちょっと変わってしまったのだ。

 

The benefits of being a pessimist: Expecting the worst can make you focus on the outcome of a goal and perform better, claims scientist

www.dailymail.co.uk

 

つまり、悲観論者は最悪のシナリオを予想して目標のために集中することで、より良い結果を残すことが出来ると科学的に証明されたというのである。ちょい待ってくれ。マジかよオイ!

 防衛的悲観論者、あらわる

記事を要約すると、

 

■悲観論者の一部には「防衛的悲観論者」と呼ばれる人たちがいる

■彼らは最悪の事態を想定して、戦略的に入念な準備を行う

■その性質を利用して、目標達成のためにより良いパフォーマンスを発揮させる

■良い結果が生まれやすいので、自尊心も楽観主義者と同じくらいに高い

 

という感じになる。

 

悲観論者のすべての人たちに当てはまるわけではなく、一部の防衛的悲観論者にスポットを当てているということに注意したい。

 

5人の指

ただの悲観論者というのは、言うまでもなく現実をことごとく悲観的にとらえる属性の人たちのことだ。最悪の事態にとらわれて、ただ悲観して落ち込むだけで何もしない。まったく厄介極まりない。

 

だが、防衛的悲観論者と呼ばれる属性の人たちは、戦略的に悲観論者になることで最高のパフォーマンスを発揮し、最大の成果を生み出そうとする人のことを指す。

 

つまり、あえて悲観論者になっているというのである。防衛的悲観論者というとちょっとわかりにくいが、戦略的悲観論者といえば少しはピンと来るかもしれない。

どうすれば最高の成果を出す戦略的悲観論者になれるんだろう?

それではどうすれば、最大限のパフォーマンスを発揮して最高の成果が出せる戦略的悲観論者になれるのか?上記のDaily Mailの記事を参考にして考えてみた。

 

最悪のシナリオを描き、入念な準備を怠らない

最悪なシナリオを描き、考えうるさまざまな悪要素をつぶしていけばいい。例えば、大事な約束があって絶対に遅れてはいけないという場合。電車のダイヤや最短で行ける乗り換えを調べる、電車遅延があったときのための迂回路を調べておく、駅前のタクシー乗り場を探しておくなどだ。そういった入念な準備をしておけば、イレギュラーなことが起こってもすぐに対処できるようになる。

忙しそうな人

慎重に、計画的に実行する

悲観主義的な人は慎重な傾向が強い。慎重に、冷静に目の前の現実を把握することで計画的に実行ができる。もちろん慎重になりすぎてチャンスを逃すことは多い。僕がそうだった。まったく頭が痛い。お腹も痛くなる。だけど、慎重に行動したおかげで危険を回避できた、っていうことも確かにある。

楽観的な人のように大胆不敵に勢いで行動することで、成果が出ることもたくさんあるから、どちらがいいかなんて一概には言えない。まぁ一長一短があるということかもしれないです。

 

現実をありのままに見て、楽観視しない

楽観主義の人は現実の一部が楽観できる状況だと、他の部分は無視して「大丈夫大丈夫!」と自己暗示しやすい傾向にある。だが、悲観主義的な人は現実のあらゆる面を多角的に見て評価する傾向が強いように思える。

つまり現実をありのままに見て、すぐに楽観視しないのだ。総合的に判断した上で、さらに慎重を期す。最悪なシナリオを回避する大事なポイントかも知れない。

 

ネガティブな出来事にも目をつむらない

戦略的悲観論者はネガティブな現実にも、目をつむらないで直視できる。楽観的な人は都合の悪い現実を「見なかったことにする」ことが多い。そこがほころびになって、失敗の原因になっているように思うのだ。ネガティブな現実も目を背けず観察して、その解決策をなんとか抽出しようとすることできっと、望むような成果が転がってくるはずだ。

 

恐怖におののく女性

自分自身を過大評価しない

自分自身を客観的に評価することほど難しいことはない。それでも自分を鼓舞するつもりで甘めに評価してしまうのは危険だ。過大評価は、現実を楽観視することに繋がりかねないからだ。

個人的には、過大評価するなら若干過小評価するくらいが良いのではないかと思っている。かといって過小評価しすぎるのも良くない。なかなか自信が持てなくなり、現実をありのままに見る目を曇らせてしまうことになるからだ。

 

いたずらに卑下せず、出した結果に対して正当に評価する

成果を出しても「どうせたまたまだろ」とか「自分なんか何もしてない」といたずらに卑下をせず、「ここまで出来たぜ!」と自分自身を正当に評価してあげることが大事だ。自尊心が高まり自信にもつながる。でもしっかりと帯は締めて精神的土台の基礎がガッチリ固められることで、また次のチャレンジに余裕をもって取り組めるようになる。

 

 

これら6つの点はけっこう重要事項なんじゃないかと思っている。戦略的に悲観主義者になることで、確実に成果をものにしていく。楽観的な人をいつの間にか出し抜いて、地球3周分くらい先を行けることだってあるかもしれない。それくらい未来感のあるポテンシャルがあるはずだ。

 

特に集団のリーダーには必要な資質かもしれない。

戦略的悲観論者(=防衛的悲観論者)とはどんな人たちなのか

イチロー

ところで、戦略的悲観論者(=防衛的悲観論者)にはどんな人がいるのか?と考えたとき、すぐに思い浮かんだのがイチローだ。とはいっても、イチローが戦略的悲観論者だと断定しているわけではないので注意してください。

 

毎朝同じものを食べ、試合前は同じルーティーンで入念に準備し、打席に立つとき、守備につくときにも同じ順番、同じ動きで準備して常に最高のパフォーマンスを発揮できるようにする。

 

もし、これだけの身体能力あるんだから、本気になればいつでも結果出せるぜ!というような楽観主義ならどうだっただろう?きっと、自分に同じルーティーンを厳格に課すこともなく、新庄みたいにもっと楽しそうに野球をプレーしていたかもしれない(イチローが楽しそうに野球をしていなかったというわけではないですが)。

 

いくらセンスがあり身体能力が抜群だと自己評価していても、「ヒットが打てないかもしれない」「最短距離で捕球できないかもしれない」と最悪の事態を想定することで、練習を欠かさず、野球に関するすべての行動をルーティーン化して入念に準備する。それにより、最悪の事態が起こることを回避しようとしているのだと考えられる。

一流のスポーツ選手はことごとく戦略的悲観論者なのかもしれない

イチローに限った話ではない。サッカー、レスリング、柔道、水泳、バスケ、相撲など、一流と呼ばれるスポーツ選手は基本的に戦略的に悲観論者になることで、練習や試合前の準備を計画的且つ入念に行い、試合に負ける、ちょっとした油断で相手に勝利を譲るという最悪のシナリオを回避しようとしているのではないか。

 

あともう少しで試合に勝てる、というときにも、相手選手にスキをつかれないように最悪の事態を想定し決して油断をしない。確実に勝つことを義務付けられた選手やチームのキャプテンの多くはこのタイプなのではないかと想像できるのである。

戦略的悲観と戦略的楽観をうまく使い分けられたらハッピーだ

幸せな家族

ここまで戦略的悲観論者(=防衛的悲観論者)を持ち上げに持ち上げてきたが、当然ながらどんなシーンでも万能な立場であるはずはない。

 

場合によっては戦略的悲観主義に立つことで、明るい光がさしていた世界に闇が侵入して暗転してしまうこともある。万能ではない限り、やっぱり「使い時」を見極めることが大事だろう。

 

その際、戦略的に「楽観主義」の立場を持っておくとけっこう対処しやすくなるのではないかと思っている。

 

戦略的に「悲観主義」と「楽観主義」を柔軟に使い分けることで、多くの問題を適切に処理できるんじゃないか?と考えられる。物事がうまく運んでいるときには「戦略的悲観論者」になり、物事が最悪の事態にまで行き詰まったときには「戦略的楽観論者」になることで、思うような方向に進んでいけるはずだ。

 

もちろん、物事がうまく運んでいるときにそのままの勢いで「いてまえええ!」とパワープレーで進んでいくのもありだが、頭の片隅に「いやちょい待てよ」と戦略的に悲観論者の自分を登場させられるようになれば最強だ。うん、それこそハッピーである。

 

人には考え方のクセのようなものがある。知らない間につい、こういう方向に考えがいってしまう、というような経験がきっとあるはずだ。それで成果が出せていればそのまま自分の道を貫いていけばいいわけだが、「なかなかうまく行かない…」という場合には、戦略的に「悲観主義」と「楽観主義」を使い分けていけばいい。キラキラしたハッピーロードもきっと、夢ではなくなる。