とりねこ日記

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「自分らしさ」を求める先の出口なき“デッドゾーン”でもがき苦しむ前に気付いておきたいこと

バナナを持つ男性

最初にまず自己紹介する方がいいのではないかと思いましたが、自分語りが苦手なので省略します。

 

そもそも自分って何者なんだろう?って思うことがたまにある。

 

・引っ込み思案だ

・人前に出るとガッチガチになってしまう...

・それなりに協調性がある

・基本的におおざっぱだ

・だけど「几帳面だね」と言われることがある

・わりと器用なところがある

・どうでもいいことが気になってしょうがない時がある

 ※全部私のことだ

 

こんな感じで、人とは違う「自分」という存在を決定づける要素はたくさんある。気張らず色付けせずにその「ありのままの自分」とか「自分らしさ」を出せたら、生きていくのはけっこう楽だ。

 

見栄を張って「へぇ~とりねこさんてスゴイね!」と羨望の眼差しで見られるのはとても気持ちいいものだけど、時間がたつと「見栄なんか張っておれってバカチンだわ」と自己嫌悪におちいってしまうことがやっぱりある。

 

たぶん同じような経験をしたことのある人はたくさんいるはず。

 

だからみんな「自分らしく生きたい」と熱望したり、「素の自分、ありのままの自分を出して生きていければ…」と願ったりするのだ。

「自分らしさ」って一体なんだ

それじゃあ「自分らしさ」って一体なんなんだろ。冒頭で言った、

 

・引っ込み思案だ

・人前に出るとガッチガチになってしまう...

・それなりに協調性がある

 

なんかは「自分」というものの正体の一部だけど、「自分らしさ」とはちょっと違う。少なくともイコール関係ではない。

 

「自分らしさ」とはつまり、良い面も悪い面もそのままの自分を出せている状態を指すのではないかと思っている。そしてその前提条件として、周りの人たちと相互友好関係を結べていることが必要だ。

 

例えば、

 

仲間内だけで誰にも気をつかわず楽しく話せる自分  ←  ✖引っ込み思案だ

人前に出ないで、目立たず黙々と働いている自分  ←  ✖人前に出るとガッチガチになってしまう

周りの人と協調して仕事を完結させる自分 ←  それなりに協調性がある

 

なんかがそうだ。

 

そして、多くの人がいう「自分らしく生きる」というフレーズの裏側には、

 

無理して頑張らなくていいそのままの自分 × 理想の自分

 

が暗に含まれている。

 

「これが本当のありのままの自分だけど、プラスこんなことまでできたらいいよね~」というちょっとした理想の上乗せがある。そんな自分を受け入れてほしい、認めてほしいという願望が「自分らしさ」「自分らしく生きる」の中にはドクドクと脈を打っているのである。

 

つまり「自分らしさ」というのは承認欲求そのものなのだ

 

「自分らしさ」は巧みに誘惑する結婚詐欺師と同じかも

 

男性を殴る女性

SNSが当たり前の情報発信ツールになってくると、いろんな人がキラキラした自分を発信するのをたくさん目にするようになった。

 

そんなキラキラした人たちを見ていると、

 

私も(オレも)この人みたいに自分らしく生きてキラキラしてええええ!

 

と思うものだが、それはまさに承認欲求そのものだ。人は生きている以上、その欲求からは逃れられない。

 

そうして、たくさんの人が「自分らしく生きられる場所」を求める旅に出ることになる。でも「自分らしく生きられる場所」なんてそうそう見つかるもんじゃない。

 

プライベートな空間の中にはあっても、社会の中で見つけるのはスーパーハードである。それなのに「自分らしさ」という言葉の誘惑に誘われるままずっと探し続けることになる。まるで結婚詐欺師の巧みな言葉にホイホイついていくようなものだ

 

僕は何度も結婚詐欺師に引っかかったことがある(もちろん本来の意味じゃなく)のでわかるが、自分らしさに従って生きていくのが正しいんだと思い込むと、なかなかその妄念を振り払うことができなくなってしまう。

承認欲求を満たすために妥協する偽の「自分らしさ」

 それでは、「自分らしく生きられる場所」が見つからなかったら、人はどうするのだろう??

 

私の場合をいえば、「とりあえずここでいいか…」と腰を据えた場所で、ちょっと妥協して周りに合わせようとする。そうすることで自分らしさを認めてもらおうとするのである。

 

でもある時ふっと気づく。 

叫ぶ男性

あれ?これって本当の自分じゃなくね?

 

そしてまた、ガチガチに固めた「自分らしさ」のサンプルを手に持って、受け取ってくれる場所を求めてさまよい続けることになるのだ。もう泣くしかない。

 

自分らしく生きる、なんていうキラキラした言葉に騙されてはいけない。あなたの近くまでやってきた結婚詐欺師は、髪型、身なり、化粧を完璧にフル装備しキラーフレーズを散りばめていつの間にか懐に潜り込んでくるんだから。

求める先に待っている出口無き“デッドゾーン

自分らしく生きられる場所を求める終わりなき旅はいつまで続くのか。その旅の終着点は出口のない袋小路だ。デッドゾーンである。どこかに出口があるはずだと探せば探すほど、三半規管が麻痺して方向感覚がなくなってくる。

 

運良く出口を探り当てる人もいるだろうし、デッドゾーンに入り込む前に即効見つけてキラキラ人生を歩む人も中にはいる。

 

でもそんな人は一握りだ。敏感な人はデッドゾーンに突入した途端、嗅覚が働いて自分らしさを求める旅を強制終了させて別の道を歩いていくこともある。

 

でも嗅覚の働かない人は、自分らしさを求めては妥協し、また求めては妥協することをずっと繰り返すことになる。終わりなき旅、出口なきデッドゾーンは、自分自身で気づかない限りほとんど永遠のようにつづく。

 

そんなの悲劇以外のなにものでもない。絶望するしかない。それじゃあどうやって出口なきデッドゾーンから抜け出して、終わりなき旅を終わらせて新しいステージに進めばいいのだろう???

自分がどうしたいかではなく、人との関係性の中で何ができるか

飛ぶ女性

答えはそんなに難しいことではない。

 

自分がどうしたいかではなく、周りの人との関係の中で自分は何ができるのか

 

に舵を切って行動することだ。

 

「ありのままの自分でありたい」「こういう自分でいたい」のような自分に向かっていたベクトルを他者、社会に向けるだけでだいぶ楽に生きられるようになる。

 

 重心が完全に自分に偏っていると、上から押すとどうしても「人のことはとりあえず置いといて」という自分勝手な傲慢さがジュワワっと出てきてしまう。

 

中には、「イヤイヤちゃんと周りとの調和も考えてますって」という人もいるだろうが、「自分らしく生きたい」と考えている時点で、重心は圧倒的に自分の方に傾いている。まだまだ、結婚詐欺師の甘い誘惑からエスケープできていないのだ。

 

でも視線が他者に向くようになれば、いつの間にかあなたの「自分らしさ」は認められて、良い面も悪い面もすべて受け入れられるようになるはずだ。

 

 社会生活を営む限り、人との関係性を省略して生きていくことはなかなか難しい。山奥のぽつんと一軒家で暮らすなら誰も文句は言わない。が、あなたが会社や学校に所属している限り、この環境の中で何ができてどうするのがベストなのか、という視点が欠けていればデッドゾーンから抜け出せないかもしれない。

 

まあ今はほぼ誰とも会わないでネットで稼ぐことはできるから、本気度マックスで「自分らしく生きてやるぞオイ!」と意気込んで承認欲求を満たせる人もいるんだろうけど。

 

そうではない限り、周囲との調和を軸に自分のできることを考えたほうが、きっと人生は生きやすくなるはずである。